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琴棋書画。


琴棋書画。 文人の楽しみ。 教養や風雅を身につけた文化人の風流な遊び。 また、そのたしなみ。 琴を弾き、碁を打ち、書を書き、絵を描くこと。
by zouchan-land
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とある『東方』の佐氏之国≪사씨의 나라≫ ~ 終幕。

 【 これまでのあらすじ 】

 『建御名方 (諏訪)』
 『建御雷 (鹿島)』

の『一族』、すなわち、

  『建 (たけ)』
 =『武 (たけ)』
  ⇒『竹 (たけ)』
  ⇒『田家 (たけ)』
  ⇒『多家 (たけ)』
  ⇒『太家 (たけ)』

の『一族』が、
『刺国』に『移民』したのち、

 『刺国 (佐治国)』⇒『武蔵国』

と、成った。


『中央』に集った、

 『高』
 『天』
 『馬』
 『秦』

と、『各地』に広まった、

 『宇』
 『須』

が、『例外』であるならば、
どうなるだろうか?


『例外』を、除くと、
『日本列島』の、『各地』に、
『根付いた一族』のみが、
残される事になる。


『日本古代史シリーズ』における、
『古代日本』の『一族』を、
『西』から『東』にかけて、
『例外』を、除き、
もう一度、その『例』を、みてみよう。

ただし、今度は、
『関連人物』が、
『関連』する『国』と、
『建国年など』を、併記してみる。


 ◎『許氏 (古賀)』

 『福岡県古賀市 ~ 古賀神社』。

 『許 黄玉 (허 황옥 / ホ・ファンオク)』

 『金官伽耶 紀元42年 建国』


 ◎『高氏 (高志 / 越)』

 『福井県敦賀市』~『山形県庄内地方』

 『高 朱蒙 (고 주몽 / コ・チュモン)』

 『高句麗 紀元前37年 建国』


 ◎『李氏 (石)』

 『諏訪』⇒『長野県』

 『李 斯 (リ・シ)』

 『秦 紀元前221年 天下統一』


『東』に、行けば行くほど、
『年代』を、遡る事になる。

・・・なぜだろうか?


『古事記』によると、
『出雲国 (島根)』の『建御名方』は、
『諏訪 (長野)』に、移り住んだ。

また、

  『建御名方 (諏訪)』
  『建御雷 (鹿島)』

 の『一族』、すなわち、

   『建 (たけ)』
  =『武 (たけ)』
   ⇒『竹 (たけ)』
   ⇒『田家 (たけ)』
   ⇒『多家 (たけ)』
   ⇒『太家 (たけ)』

 の『一族』が、
 『刺国』に『移民』したのち、

  『刺国 (佐治国)』⇒『武蔵国』

 と、成った。

と、している。

以上の事から、わかるのは、

 『大陸』や『朝鮮半島』から、
 『日本列島』に『移民』した『一族』は、
 『新たな一族』が、
 『移民』してくる事により、
 『古き一族』が、『東方』に、
 さらなる『移民』をした。

・・・と、いう事が、
繰り返されてきたという事になる。
そのため、『東方』に、
行けば行くほど、
『古き一族』の『拠点』になったと、
考えられる。

すると、どうなるのか?
・・・と、いうと、

 ◎『李氏 (石)』

 『諏訪』⇒『長野県』

 『李 斯 (リ・シ)』

 『秦 紀元前221年 天下統一』

よりも、『東方』に位置する、

  『古事記』の『刺国』
 =『魏志倭人伝』の『佐治国』
 =『佐氏』の『国

は、『秦』の『天下統一』よりも、
『古き一族』という事になる。


さて、『歴史に関与する書物』は、
大きく、2つに、分けられる。

 『歴史』を、記した『書物』
 『歴史』を、替えた『書物』

となる。

 『歴史』を、替えた『書物』

の、『例』の、ひとつとして、

 『謝氏南征記
  (사씨남정기 / サッシ ナムジョンギ)』

が、ある。
つまり、

 『謝氏』=『사씨 / サッシ』

となる。
この『書物』、『語学的』にも、
興味深い一面がある。

 『謝』=『사 / サ』
 『氏』=『씨 / ッシ』

は、『韓風』な『読み方』である。
しかし、とある『謝氏南征記』は、
『右からの横書き』であり、

 『기정남시샤』
 『記征南氏謝』

と、記載されている。

 『謝』=『샤 / シャ』
 『氏』=『시 / シ』

となる。
つまり、『和風』な『読み方』なのである。


 この『書物』が、
 書かれた『地域』を経由して、

  『謝』=『샤 / シャ』
  『氏』=『시 / シ』

 という『読み方』が、
 『日本列島』に、伝わったのか?

あるいは、

 『日本列島』へ、
 『輸出』するために、
 書かれた『書物』なのか?

非常に、気になるところだが、
資料が少ないところでもある。


・・・話を、戻そう。
『古代中国』を、
一言で表すとすると、

 『殷周秦漢』

となる。
そして、『神代中国』を、
一言で表すとすると、

 『三皇五帝』

となる。
『黄帝』の『子』が、建国した、
『諸侯国』のひとつに、

 『謝』

が、あった・・・が、
『周 (西周)』に、滅ぼされた。
『秦の始皇帝』が、『天下統一』をするよりも、
ずっと、昔の話となる。

そして、『謝』という『国名』は、
『謝』という『氏』に繋がったと、
考えられる。


  『謝氏 (サッシ)』
 ⇒『佐氏 (さし)』

で、あるならば、

  『古事記』の『刺国』
 =『魏志倭人伝』の『佐治国』
 =『佐氏』の『国』

の『歴史』は、
とても、古いという事になる。


 【 まとめ 】

 【 これまでのあらすじ 】

 『東』=『木』=『青』=『木国』
 『南』=『火』=『赤』=『火国』
 『中』=『土』=『黄』=『邪馬台国 (宇佐)』
 『西』=『金』=『白』=『金官伽耶』
 『北』=『水』=『黒』=『出雲国』


『伊邪那岐』は、
『三貴神』に対して、

   『天照』⇒『高天原』
       =『大和 (奈良盆地)』

   『月読』⇒『夜之食国』
       =『豊国』、あるいは、
        『筑紫国』を含めた、
        『北九州』。

 『須佐之男』⇒『海原』
       =『畿内』と『北九州』を結ぶ、
        『海路』。
         すなわち、『瀬戸内海』。

を、治めるよう、『詔』した。


 『刺国 (佐治国)』⇒『武蔵国』

 『葦原色許男』=『葦原志挙乎』
        =『味原』の『醜男』
        =『難波』の『人物』
        =『佐氏』

『須佐之男』と『葦原色許男』は、
面識があった。


『畿内』の『入口』と言えば、

 『摂津国』の『難波』

である。
そして、

 『須佐之男』
 『葦原色許男』

は、

 『摂津国』の『難波』

において、顔を合わせていたと、
考えられる。


さらに、【 あらすじ 】を、考慮すると、

  『須佐之男』
 =『畿内』と『北九州』を結ぶ、
  『海路』の『統治者』

  『葦原色許男』
 =『畿内』と『関東』を結ぶ、
  『海路』の『統治者』

であったと、いう事になる。


また、『日本古代史シリーズ』では、

  『卑弥呼』の『男弟』の『孫』
 =『葦原色許男』

と、している。
『魏志倭人伝』の時代、

  『卑弥呼』
 =『畿内』と『北九州』を結ぶ、
  『海路』の『統治者』

  『男弟』
 =『畿内』と『関東』を結ぶ、
  『海路』の『統治者』

で、あったのかもしれない。


すると、気になるのが、

 『邪馬台国 (宇佐)』
 『葦原色許男』

の、関係である。
そして、

 『邪馬台国』⇒『宇佐』

と、成ったのは、
いつの頃なのだろうか?


『日本古代史シリーズ』では、

 【 西日本 】

  『須佐之男』
 ⇒『宇迦之御魂 (宇家)』
 =『須世理毘売』
 =『大国主』
 ⇒『大年』
 ⇒『韓神 (感神)』
 =『天之日矛』
 ⇒『牛頭天王 (宇氏)』の『系譜』


 【 東日本 】

  『刺国大神 (佐氏)』
 ⇒『刺国若比売 (佐氏)』
 ⇒『大穴牟遅 (佐氏)』
 =『葦原色許男 (佐氏)』
 ⇒『刺挟木俣 (佐氏)』
 ⇒『座頭天王 (佐氏)』の『系譜』

と、している。


『ふたつ』の『系譜』が、
『ひとつ』と、成った時、

 『大和』=『大和盆地 (奈良盆地)』

を、『中心』とする、

 『西日本』『東日本』

も、また、『ひとつ』と成った。
そして、

 『宇佐』

が、生まれたのだろう。


おしまい。

by zouchan-land | 2026-02-22 19:37 | 韓国語 (日本古代史など)。 | Comments(0)
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