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琴棋書画。


琴棋書画。 文人の楽しみ。 教養や風雅を身につけた文化人の風流な遊び。 また、そのたしなみ。 琴を弾き、碁を打ち、書を書き、絵を描くこと。
by zouchan-land
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『萬幡豊秋津師比売』についての考察。

『古事記 ~ 国譲り編』の序盤で、
『豊国』の攻略に失敗した
『天忍穗耳』だったが、
『天照大御神』と『高木』から、
『葦原中国』を治めるよう言われる。

しかし、その任につくのは、
『天忍穗耳』の子となる。

その子の母親は『高木』の娘であり、

 『萬幡豊秋津師比売』

という名だった。
この名は、『古事記』を読み解く上で、
とても重要な意味を持つ名なので、
もう少し、掘り下げてみようと思う。


まずは、『萬 (ヨロズ)』。

 『萬』=『万』

であり、その意味は、

 『10の4乗』『たくさん』

などの意味がある。
しかし、『万屋 (よろずや)』とは、

 『いろいろな品物を売る店』

という意味になり、
『万屋』の『万』は、

 『万』=『いろいろな』

と、いう意味になる。


次に、『幡 (ハタ)』。
これは、『幡氏』だと思う。
さらには、『秦氏 (はたし)』だと思う。
『秦氏の祖』は、第15代 応神天皇の時代に、
『百済』より帰化した『弓月君』だとされているが、
『秦氏』は、それ以前の時代から、
日本列島に渡っていたのだと思う。
『秦氏』は、蚕や絹などによる織物を、
日本列島に広めた一族であった。
布を使った『旗 (はた)』は、
『秦』を由来とするのかもしれない。


次に、『豊 (トヨ)』。
以前の考察の【 まとめ 】で、
少しだけ触れた話題なのだが、
『百済』を建国した『温祚』は、
『扶余氏』と名乗っている。
そして、『豊』を韓国語にすると、

 『豊 (豊か)』=『풍요 (プンヨ)』

となる。
『扶余 (부여)』が『豊 (풍요)』と、
なったのではないかと思う。
韓国語に精通している人であれば、
似ているが、違う発音になる。
しかし、母音が5種類しかなく、
有声音・無声音の区別にうとい日本人が、
正確な発音で区別できるか?
と言われると、それは難しいだろう。
現代日本の『豊さん』は、
『扶余氏』ゆかりの一族なのかもしれない。


次に、『秋津 (アキツ)』。
これは、『秋津氏』だと思う。
さらには、『秋氏』だと思う。
『秋氏』は、韓国の全州に多い氏である。
全州は、『百済 (馬韓)』があった
韓国南西部に位置する。
そして、和歌山県には『秋津町』がある。
『秋津町』は、田辺湾に近い場所にある。
『秋』に『船着き場』を意味する
『津』が付いたのが、
『秋津』なのだろう。


次に、『師 (シ)』。
これは、『氏』だと思う。


最後に、『比売 (ヒメ)』。
これは、『姫』だと思う。


・・・と、すると、
『萬幡豊秋津師比売』は、

 『秦 (幡)・扶余 (豊)・秋 (秋津)、
  いろいろな氏 (一族) の姫』

となる。

『百済』で王位継承争いに敗れた王子、
すなわち、『扶余氏』が、
船を所有していた『秋氏』と共に、
紀伊半島に渡り、
血縁関係になったと思われる。

そこに、絹による財産があり、
さらには、その技術がある
『秦氏』が加わった結果、
『萬幡豊秋津師比売』が生まれたのだと思う。


この考察シリーズでは、
『木国 (紀伊国)』を建てた『高氏』が、
『高木』であるとしている。
『高木』は紀伊半島を支配下に置き、
『萬幡豊秋津師比売』の母を、
娶ったのだろう。


 【 まとめ 】

次回は、『ニニギ』について、
考察してみようと思う。

by zouchan-land | 2024-05-13 00:19 | 韓国語 (日本古代史など)。 | Comments(0)
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