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⑦ 『大国主』には、 『言代主 (コトシロヌシ)』と、 『建御名方 (タケミナカタ)』、 2柱の子がいた。 『大国主』の子は、 2柱だけではないにも関わらず、 『大国主』は『古事記 ~ 国譲り編』で、 『言代主』と『建御名方』しか、 『子』はいないと言っている。 ここでの『子』は、 『後継者候補』を指しているのだろう。 『古事記』で『大国主の系譜』が、 ズラズラ書かれている箇所には、 『言代主』は、 『大国主』と『神屋楯比売』の 子であるとの記述がある。 ところが、 『建御名方』についての記述はない。 しかし、『先代旧事本紀』では、 『高志沼河姫 (こしのぬなかわひめ)』を、 『建御名方』の母であるとしている。 『古事記』では『沼河比売』とされていて、 『大国主』が婚姻を望み、 『高志国』にある『沼河比売』の家まで行き、 歌を詠んだ相手である。 歌を詠みあった翌晩、2人は合っている。 『建御名方』が『大国主の系譜』に 出てこないのは、 『高志国』で『高氏』の一族として 育てられたためだと思われる。 ⑨ 『建御名方』は『建御雷』と、 力比べしたところ、 『建御名方』が逃げだした。 『建御名方』は『建御雷』に対し、 力競べ (力比べ) を挑み、 その手を取った。 その手は、『立氷』のようであり、 『剣の刃』のようであった。 これは、『剣』ではない『武具』を 表しているのだと思う。 『立氷』とは、 『逆氷柱』だろう。 そして、『剣』ではなく、 『逆氷柱』のような 形状である事を考慮すると、 『槍』や『矛』だったと考えられる。 『出雲国』があった地域からは、 大量の『剣』が出土しているが、 『槍』や『矛』は、見た事がなく、 戦い方すら、わからなかったかもしれない。 次に、『建御雷』が『建御名方』の手を、 つかみ、締めつけ、投げ離した。 その結果・・・。 ⑩ 『建御名方』は、 『信濃国 (長野県あたり)』まで逃げた。 『建御雷』は、『信濃国』まで追いかけた。 追いつきもせず、逃げられもせず、 『出雲国』から『信濃国』まで、 追いかけたとは、考えにくい。 『建御名方』は、逃げたのではないと思う。 この考察の最初の方で、 『建御名方』は『高志国』で、 『高氏』の一族として育てられたとした。 さて、王位継承争いに敗れた『高氏』の王子は、 どのような行動を取ったのだろうか? まずは、故郷であり、 『高氏』の名を冠する『高志国』へ行き、 そこから、新天地を求め、 内陸部へ移動したと思われる。 ところで、日本列島に渡った『高氏』は、 稲作に適した地域を 好む傾向にあるように思える。 稲作自体は、『別天神』の時代より、 遥か昔から、日本列島に伝わっていたが、 『高氏』は、その稲作を、 改良・拡大したのではないかと思う。 その最高傑作の1つが、 『高氏の国』、すなわち、 『高志国 (越国)』で生まれた 『コシヒカリ』なのではないだろうか? また、稲作に適さない土地でさえも、 その地における、 稲作の最善を求めたと思われる。 そして、それを行ったうちの一人が、 『建御名方』であると思うのだ。 それまでは、海沿いの平野部で 盛んである稲作だった。 『建御名方』は、内陸部における稲作の、 改良・拡大に尽力したのだろう。 つまり、日本列島の『中心部 (中)』における、 『水田 (田)』の開拓者であり、 功労者だったのだと思う。 そして、『中田 (ナカタ)』となり、 のちの時代に、 『武人たち』を『御する』『中田』、 すなわち、『タケミナカタ』と なったのだと思う。 【 まとめ 】 『古事記 ~ 国譲り編』の最後に、 『大国主』は、いくつかの条件を出した上で、 「僕の子ら、180の神に、 逆らう神はいない。」 と、言っている。 ここでの『子』は、 『出雲国』を維持するための 役割を持っていた神々だと思われる。 以前の考察では、 古代日本における『クニ』は、 現代日本における『市町村』程度の 規模であるとした。 つまり、『180の神』は、 『市役所職員』のような 神々だったと思うのだ。 『大国主』が『宇都志国』を出発し、 九州の反対側にある『葦原』に、 直接向かったとは、考えにくい。 陸路、海路、いずれにせよ、 現在の熊本市あたりで 足を止めたと思われる。 そして、熊本市の隣には、 『宇土市』がある。 『宇都氏』由来の地なのだろう。 ちなみに、2021年、 『宇土市』の『市役所職員』の人数は、 『184人』であった。 稲作に関する考察あり。⇒ あとがき。
by zouchan-land
| 2024-05-09 23:54
| 韓国語 (日本古代史など)。
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