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琴棋書画。


琴棋書画。 文人の楽しみ。 教養や風雅を身につけた文化人の風流な遊び。 また、そのたしなみ。 琴を弾き、碁を打ち、書を書き、絵を描くこと。
by zouchan-land
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『高天原』についての考察。

『古事記』において、原初の神々は、
『高天原』で暮らしていた。

今回は『高天原』について、考察してみる。


『古事記』という歴史書の中で、
『高天原』という地名が出てくる時は、
その時点での、
『最高権力者』が暮らしている場所を
指示している。

また、のちの日本では、
『天皇 (天子) の住まいのある土地』は、
『京 (みやこ)』となった。

『高天原』の『原』は、
『京』に近い意味だと思う。

『神世七代 (かみよななよ)』の時代は、
『国生み』を行っている時代であり、
日本列島に渡った神々への指示は、
日本列島以外の地域からとなる。
その場所は、どこだろうか?

以前の考察では、
『天氏』の一族である『天之日矛』は、
『辰韓諸国』から来たとした。
すると、『神世七代』の時代の『高天原』は、
『辰韓諸国』、あるいは、
その周辺地域と考えられる。
しかし、これはまだ、暫定となる。

『古事記 ~ 黄泉国編』の最後には、
『イザナギ』は『日向』に『還って』いる。
そして、『アマテラス』が、
『高天原』を治める事になり、
『最高権力者』となった。
つまり、この時点以降は、
『高天原』は『日向』となる。
『神世七代』と『それ以降』では、
『高天原』が指す地域が異なる事になる。

『高天原』が『天原』だったのならば、
この考察は、ここで終了なのだが、
まだ、『高天原』の『高』が残っている。
『高』が意味するのは、何だろうか?


『神世七代』の神々の時代の前には、
『別天神 (ことあまつかみ)』
と、呼ばれる神々がいた。

まずは『別天神』を羅列してみる。

 天之御中主神
  (アメノミナカヌシノカミ)
 高御産巣日神
  (タカミムスビノカミ)
 神産巣日神
  (カミムスビノカミ)
 宇摩志阿斯訶備比古遅神
  (ウマシアシカビヒコヂノカミ)
 天之常立神
  (アメノトコタチノカミ)

である。

これまでの考察の流れを汲むのならば、
『天之』が『天氏の』だろう。

そして、『高御産巣日神』なのだが、
この神は『高氏』の一族ではないかと思う。
この時代の『高氏』といえば、
『高朱蒙 (고 주몽 / コ・チュモン)』
が、思い浮かぶ。
『扶余』の王子として生まれ、
『高句麗』を建国した人物である。
『高朱蒙』の長男が『高句麗』を継いだが、
三男の『温祚 (온조 / オンジョ)』は『百済』を建国した。

次に、『宇摩志 ~ (ウマシ ~)』なのだが、
この神は『馬氏』の一族ではないかと思う。
この時代の『馬氏』といえば、
『馬黎 (마 려 / マ・リョ』
が、思い浮かぶ。
『百済』建国時の重臣である。

つまり、この時代の朝鮮半島では、
『高氏』と『馬氏』には、深い繋がりがあり、
いずれにも、相当な権力があったという事になる。
さらに、『高朱蒙』に連なる『高氏の一族』なのだが、
王位継承争いにやぶれた王子たちは、
国を出て、新しい国を造る習性があった。
『高氏』と『馬氏』が、
『日本列島への移民計画』に関わっていても、
まったく、不思議でない。

そして、『高氏』『天氏』『馬氏』の『神々』を、
『結び』つけていたのが、
『神産巣日神 (カミムスビノカミ)』
だったのだろう。

しかし、『馬氏』は『高氏』の重臣であったので、
核を担う一族ではなかったはずである。
なので、『神世七代』に連なる一族の中心にいたのは、
『天氏』となるが、
『別天神』に連なる一族の中心にいたのは、
『高氏』だったと思う。

本来、『高天原』の意味するところは、
『高氏』と『天氏』の『原 (みなもと)』
だったのだろう。
『高氏』が中心となっていた地域は、
『百済』が統一される前の、
『国』のひとつだったと考えられる。
正確に言うと、『百済諸国の一国』だが、
この考察では、『百済』と表記する。

時代別に、『高天原』の地域をまとめると、

 『別天神の時代』⇒『百済』
 『神世七代の時代』⇒『辰韓』
 『神世七代以降の時代』⇒『日向』

と、なる。


さて、『別天神』とは、何だろうか?

『神世七代』以降の神々は、
『日向』に拠点を移し、
そこを『高天原』としている。
その系譜が、
『天神 (天津神) (あまつかみ)』である。
つまり、『別天神』は、
『天 (天津神)』と『別 (こと)』なる、
『神』となる。
いわゆる『国津神 (くにつかみ)』である。

『天津神』と『国津神』は、
定義する人物により、意味が異なるが、
この考察では、

 『天津神』⇒『日向国の神々の系統』
 『国津神』⇒『出雲国の神々の系統』

と、仮定する。
さらに、

 『天津神』⇒『天氏に連なる一族』
 『国津神』⇒『高氏に連なる一族』

と、仮定する。


なぜ、出雲国の神々なのか?

古代日本において、
最初に急激な人口増加を見せたのは、
日本海側である。
『神世七代』より前の時代、
『別天神』、つまり、『国津神』が
『出雲国』を建てたという事になる。

島根県出雲市には、
『古志 (こし)』という地名がある。
この地名は、『高氏』由来の地名だと思う。

そして、『高氏』の一族の中で、
王位継承争いにやぶれた王子は、
さらなる新しい土地を求めたのだろう。

福井県から山形県にかけての日本海側に、
『高志国 (こしのくに)』という国があった。
のちに『越国 (こしのくに)』となり、
『コシヒカリ』を生み出した国となる。
この国も、『高氏』が建てた国だと思う。
つまり、『高氏の国』だったのではないかと思うのだ。

『古事記 ~ 出雲国編』には、
『ヤマタノオロチ』が出てくる。
『古事記』の記載では、
『高志之八俣遠呂智』と、なっている。
つまり、『ヤマタノオロチ』は、
『高志国』の人物だったという事になる。
本名は、『高遠呂智 (コ・オロチ)』だったのかもしれない。


 【 まとめ 】

次回は、

 スサノオの母とは?

について、考察してみようと思う。

by zouchan-land | 2024-04-20 18:11 | 韓国語 (日本古代史など)。 | Comments(0)
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