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琴棋書画。


琴棋書画。 文人の楽しみ。 教養や風雅を身につけた文化人の風流な遊び。 また、そのたしなみ。 琴を弾き、碁を打ち、書を書き、絵を描くこと。
by zouchan-land
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『天之日矛』と『都怒我阿羅斯等』の関係についての考察。

『ヤマトタケル』という漫画には、
『武内宿禰 (タケウチノスクネ)』
が、出てくる。

『武内宿禰』は、日本古代史を大きく替えた
(『変えた』ではなく、『替えた』) 人物であり、
考察対象として、とても魅力ある人物なのだが、
今回の考察における主人公ではない。

作中で、淡海 (近江) のクニにある余呉湖に着いた彼は、
 「これが余呉の湖 (うみ) です。
  淡海の親湖よりは、よほど小さいが、
  息長 (おきなが) 一族は、
  ここを、神聖な場所と心得て、
  住まいとしている。
  その昔、故あってのがれてきた
  韓国 (からくに) の皇子
  『都怒我阿羅斯等 (つぬがあらしと)』
  別名『天之日矛 (あめのひぼこ) が
  彼等の先祖ということは、知っていますな。
  その後、先の大王の時、
  但遅麻 (但馬) に居地を与えられたものの、
  彼等は、やはり、この北淡海の地を……。」
と、語っている。


今回は、『天之日矛』について考察してみようと思う。

台詞の中にある『韓国 (からくに)』は、
現代の大韓民国を指すのではなく、
当時の朝鮮半島の国々を指している。

そして、『息長』と『韓国』
とても深い繋がりがあるのだが、
これはまた、別のお話。


ところで、『韓国の皇子』は、
どこの国の皇子だったのだろうか?

『都怒我阿羅斯等』は、
『加羅 (加羅諸国のうちの一国)』の王子とされている。
しかし、『天之日矛』は『新羅』の王子とされている。

これは、どういう事なのだろうか?

4世紀、『伽耶諸国』のうち、
朝鮮半島南西部にあった『馬韓 (マハン) 諸国』は、
百済に統合され、
朝鮮半島南東部にあった『辰韓 (チナン) 諸国』は、
斯蘆 (サロ) へと統合された。
その間にあった『弁韓 (ビョナン) 諸国』は残された。

『斯蘆 (サロ)』は、『辰韓斯蘆』と表記される事があるが、
これは、『辰韓諸国』が統合された後の呼び名と思われる。

そして、503年、『斯蘆』は『新羅』と国号を改める。

つまり、『天之日矛』が渡来した時代には、
『新羅』は存在していなかったという事になる。

おそらく、『加羅諸国』のうち、
のちに『新羅』の一部となった『辰韓諸国』から
渡来したと思われる。

しかし、これは、
『都怒我阿羅斯等』と『天之日矛』が、
同一人物と想定しての話となる。

本当に、同一人物だったのだろうか?

同一人物だったとして、
仮に、その名を『チョン・イル (천 일 / 天日)』としてみる。
筆者が好きな『チョン・イル (정 일우 / 丁一宇) とは、
言うまでもなく、別の人物である。

『천 일』の自己紹介は、どのような様子であっただろうか?

 천일「私は “천의가일사도” です。」
 倭人「???」
 천일「『천 (チョン)』は、『天』という意味です。
    『의 (エ)』は、『~の』という助詞 (格助詞) です。
    『가 (カ)』は、『家』、
    すなわち、『家系』『家門』『一族』です。
    『일 (イル)』は、名です。
    また、『일 (イル)』は、『日』を意味します。
    『사도 (サド)』は、『使徒』です。
    私は王子ですが、国は弟に任せて、
    『使徒』として来日しました。」
 倭人「もう一度、名乗ってみて下さい。」
 천일「私は “천의가일사도 (チョネガイルサド)” です。」
 倭人「“ちょねがいるさど” ですね。
    そして、意味は、『天之日矛』・・・と。」

当時の日本では、
それ程、文字が普及していなかったので、
ここから数世代、数百年かけての
『伝言ゲーム』の始まりである。

『伝言ゲーム』は、
『子音』は残されるが『母音』は変化する傾向にある。
そして、
 『ちょねがいるさど』⇒『つぬがあらしと』
となったと思う。

発音の一致率が、まだ低いので、
もう少し掘り下げてみよう。

『捨て仮名』といわれる『ゃゅょ』などの文字は、
古代日本語には存在していなかった。
使われ始めた当初も、『外来語』限定での使用であり、
正式な『かなづかい』として規定されたのは、1946年である。
そのような歴史から、

 『ちょねが』⇒『つぬが』

となったと思われる。

また、日本語の歴史的に、
『いる (居る)』は『ある (有る)』の類語である。
そして、この『ある』という言葉は、
否定語になると『あらず』となり、
さらに、『あらぬ』に派生したと思う。
現代風に言うと『有り得ない』のような意味だ。
そのような歴史から、

 『いる』⇒『あら』

となったと思われる。

そして、『さど』。
韓国語では、
 『使徒』=『사도 (サド)』
となるが、現代日本では、『使徒』は『しと』と読む。
そのような歴史から、

 『さど』⇒『しと』

となったと思われる。

『つぬがあらしと』の出来上がりである。


 『矛』は、どこから来たのだろうか?

『ヤマトタケル』という漫画には、
『第12代 景行天皇 (大帯日子 / オシロワケ王)』
が、出てくる。
作中で、彼は、
 「兄が弟を助けるというのは、
  韓国では、よくある話だ。」
と、仰られている。
『天之日矛』も、弟に国を任せている。
しかし、それでも、王子である。
『使徒』の一団として渡来し、
武装もしていた事だろう。

ここで、『播磨国風土記』について触れてみよう。
『天之日矛』が渡来した時の、数ある話の1つとして、

 韓の国から海を渡って宇頭川の川辺に着き、
 当地の長たる葦原志挙乎命に宿所としての土地を求めると、
 志挙は海中に宿ることのみを許した。
 これを受けて天日槍命 (天之日矛) は剣で海をかき回し、
 出来た島に宿った。
 志挙はその霊力に畏れをなし、
 天日槍命よりも先に国を抑えるべく北上し、
 粒丘に至って食事を取った。

まさに、『ペリー提督の黒船来航』さながらである。
武装した外国人集団を乗せた船だったのだろう。
上陸を許された後も、武装はしていただろうから、
『使徒』というよりも、『軍隊』の印象を受けたはずである。


さて、『矛』とは何だろうか?

似た武器で、『槍』がある。
いずれも、『棒状の武器』であるが、
『天之日矛』率いる一団の武器は、
『棒状の武器』だけだったのだろうか?

『朝鮮』は『弓の国』と、呼ばれる。
『日本』の『刀の国』と、対になる言葉だ。

『弓』の、木や竹の部分を『弓幹 (ゆがら)』というが、
『弓幹』は、『矛 (ほこ)』ともいわれる。

『矛』は、本来、『槍』や『弓』などの総称であったのだろう。

『天之日矛』は、古代日本人から見たら、
それは立派な『弓』を持っていて、
『矛』の字が当てられたのだと思う。


 【まとめ】
『播磨国風土記』の一節には、

 天日槍命 (天之日矛) は剣で海をかき回し、
 出来た島に宿った。

とある。


次回は、『伊邪那岐』『伊邪那美』の謎に、
挑戦してみようと思う。

by zouchan-land | 2024-03-28 18:12 | 韓国語 (日本古代史など)。 | Comments(0)
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