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琴棋書画。


琴棋書画。 文人の楽しみ。 教養や風雅を身につけた文化人の風流な遊び。 また、そのたしなみ。 琴を弾き、碁を打ち、書を書き、絵を描くこと。
by zouchan-land
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『ヤマト』の名前の由来についての考察。

『ヤマトタケル』という漫画には、
『ヤマト』が出てくる。

今回は、『ヤマト』の名前の由来について、
考察してみようと思う。


むかしむかし、朝鮮半島で、
三国 (高句麗・百済・新羅) が争っていたが、
660年に、百済が滅亡し、
668年には、高句麗も滅亡した。
この時点で、新羅による三国統一が成された。

百済を助けようとした白村江 (はくすきのえ) の戦いで、
中大兄皇子 (なかのおおえのおうじ / のちの天智天皇) は、
大敗してしまった。
中大兄皇子は、新羅と手を結んでいた唐が、
日本列島にも侵略する事を危惧した。
『クニ』ではなく、
『国』を作らねばならない状況に追い込まれたのだ。
そして、天智天皇の弟である天武天皇は、
遣唐使を送らず、『倭王』ではない『天皇』を名乗った。
701年、天武天皇の孫である文武天皇は、
大宝律令を制定し、『日本国』が誕生したのである。

ここで、疑問が生まれる。
天武天皇が初めて『天皇』を名乗ったのならば、
それ以前の『天皇』は『天皇』ではなかったのか?

そういう訳ではないのだろう。
それ以前の『天皇』も『天皇』を名乗っていたと思われる。
そもそも、中国側が『天皇』を『倭王』と呼んでいただけである。
そして、天武天皇は『天皇を名乗った』というよりも、
『天皇として名乗りを上げた』のだと思う。
『クニ』をまとめ上げ、『国』を造るために、
まわりに呼びかけたのだと思うのだ。

また、
 『クニ』=『国』じゃないの?
と、思われるかもしれないが、
ここでいう『クニ』は、固有語としての『クニ』となる。
『魏志倭人伝』には、
『○○国○○国○○国・・・』と羅列されているが、
当時、日本列島に100以上あった『クニ』に対して、
『魏志倭人伝』の執筆者が『国』という漢字を当てただけなので、
『魏志倭人伝』の編纂当時はもちろん、
大宝律令の制定以前では、
 『クニ』=『国』
とはならない。
 『クニ』=『国』
となるのは、700年頃、
『日本国』という国家が生まれた時よりのちの話となる。
つまり、日本国誕生以前、日本列島には、
『国 (くに / 国家)』がなかったという事になる。

たとえば、日本人に日本語で、
『おクニは、どこですか?』と聞かれたとする。
『日本です。』と答える日本人は、あんまりいないと思う。

ならば、『クニ』とは、どのようなものだったのだろうか?

700年頃の日本人口は、500万人程度だった。
日本列島に100以上あった『クニ』となるのだから、
『クニ』ひとつの人口は、平均して5万人以下となる。
東京ドームのスタンドが満員になったぐらいの人数である。
現代でいう『市町村』程度の規模だったと思われる。

『クニ』よりも小規模な集落を、仮に『サト』とすると、
『クニ』に含まれない『サト』で暮らす人々もいた可能性がある。
100以上という数字は、『魏志倭人伝』による記載が、
『100余りの国』という記載だったからである。
しかし、歴史に残らなかった『クニ』も存在していたかもしれない。
さらに、『クニ』は、常に興亡していたと思われるので、
一定数だったとは思えない。
『クニ』の数が、130だったり、
150だったりした可能性も考慮すると、
大きな『クニ』以外の『クニ』の人口は、
3~4万人程度だったかもしれない。


『クニ』よりも大規模な区分は、なかったのだろうか?

第10代 崇神天皇の時代、
すでに、『四道』があった。
 【 北陸道・東海道・西道 (のちの山陽道)・丹波道 (のちの山陰道) 】
である。
崇神天皇が『四道』を平定する為に遣わしたのが、
『四道将軍』となる。
『○○道』は、本来は街道を指す言葉だったと思われるが、
その周辺地域を表す言葉となり、
さらには、『行政区分 (行政区画)』となっていった。
現代日本では、『北海道』の『道』が、それに当たる。
いわゆる『都道府県』である。
しかし、『四道』が表す地域は、
 【 北陸・東海・山陽・山陰 】
となるので、ちょっこしややこしくなってしまうが、
当時の『四道』の意味合いとしては、

 『四道』⇒『八地方区分』

に相当するのだと思う。


そして、『ヤマト』とは?

『ヤマト』は、いくつもの漢字が当てられている。
代表的なものを挙げると、
 【 倭・大倭・和・大和・山門・山都・山戸 】
となり、他にもいくつかあるが、割愛。

ひとつひとつ、検証してみよう。


 ◎『倭』についての考察。
『倭』が使われる言葉として、『倭寇 (わこう)』がある。
『倭寇』が流行った原因は、モンゴル帝国 (元) に攻められて、
情勢が悪化した地域 (朝鮮半島に近い地域) の人々が、
生きるため、復讐するため、
様々な思いで始めたのがキッカケだと思うが、
論点がズレるので、割愛。
また、『倭寇 (わこう)』を行っていたのは、
日本人だけではなく、中国人や朝鮮人が多かった。
『倭』とは、本来、
中国から見て南東の地域やその住民を指す言葉である。
そのため、日本人のみならず、
中国人や朝鮮人も行っていた海賊行為を
『倭寇』と称している。
つまり、『倭 (わ)』=『ヤマト』ではない。
『魏志倭人伝』の執筆者が、
『ヤマト』という日本の固有語に、
『倭』という漢字を当てたに過ぎない。

 ◎『大倭』についての考察。
『倭』についての考察同様、
『ヤマト』の名前の由来については、
『大倭』という文字は関係ない事とする。

 ◎『和』についての考察。
これは、洒落がきいている言葉だと思う。
700年頃、中国の影響下から脱して、
独自の国家を造ろうとしていたので、
『日本』という国名を使うようになったのだが、
歴史を語る上では、『ヤマト』という言葉が必要である。
しかし、すでに、中国側の人間に、
『ヤマト』=『倭』という漢字が当てられていた。
脱中国を目指す日本の人々は、
中国人が当てた『倭』という文字を使い続けるのに、
抵抗があったのは、容易に想像がつく。
そして、同じ音の『和』を、『ヤマト』に当てたのだと思う。
『和』という文字は、
『争わず、仲良くしよう』という意味がある。
『クニ』と『クニ』が争わず、
仲良く『国』を造ろうという思いが込められているのだろう。
良い話になってきたけども、この考察は、
『ヤマト』に『和』が当てられるよりも、
ずっと前からある『ヤマト』の名前の由来についての考察なので、
『ヤマト』の名前の由来については、
『和』という文字は関係ない事とする。

 ◎『大和』についての考察。
『和』に『大』がついただけなので、
これも『ヤマト』の名前の由来については、
関係なさそうである。
しかし、ここで注目したいのは、
奈良県に地名として残っている『大和 (やまと)』である。
その地域には、『纏向遺跡』という遺跡がある。
また、宮崎県にも『大和 (やまと)』という地名がある。
いずれも、『邪馬台国』の候補としても挙げられている。
もう少し掘り下げないといけないみたいなので、
ここで、いったん、保留とする。

 ◎『山門』についての考察。
良い『クニ』に適した地形とは、どのような地形だろうか?
平和な世の中だったとしたら、
物資の流通に適した海沿いや、川沿いが良いだろう。
しかし、『クニ』どうしの争いがある世の中だったとしたら、
山に囲まれつつも、
一ヶ所だけ開けているところ (門) がある地形が、
防衛の点で優れている。
『山城』を作るのに適した地形を考えると良いだろう。
福岡県には、地名として『山門 (やまと)』がある。
その地域には、『勝尾城筑紫氏遺跡』という遺跡がある。
また、北九州には、古墳が多数残されている。
もう少し掘り下げないといけないみたいなので、
ここで、いったん、保留とする。

 ◎『山都』についての考察。
良い『クニ』には、人が集まり、人口が増える。
まるで、『都』のようである。
熊本県には、地名として『山都 (やまと)』がある。
古代日本には、『宮崎県』も『熊本県』もなかった。
つまり、現代日本とは、境界線が違うのである。
宮崎県の『大和』と、熊本県の『山都』は、
もとは一つの大きな『クニ』だったのではないかと思う。
もう少し掘り下げないといけないみたいなので、
ここで、いったん、保留とする。

 ◎『山戸』についての考察。
『山門』の『門』の代わりに、似た意味の『戸』を用いると、
『山戸』になる。
これは、地名として、あちこちにある。
兵庫県と大阪府にもあるのだが、
これらの地域では、人名 (氏) としても残っている。
もちろん、他の都道府県にも山戸さんがいらっしゃるが、
山戸さんが多いのは、兵庫県と大阪府である。
宮崎県と熊本県の話のように、
こちらも、ひとつの大きな『クニ』だったのだと思う。
しかし、ここで注目したいのは別の場所になる。
大分県にも『山戸』という地名があった
という事を残す文献がある。
また、大分県には宇佐神宮があり、
『卑弥呼』に纏わる話も多く残されている。
大分県の近くには、愛媛県がある。
『壱与』は『伊予 (愛媛県)』と、
関連性があるのかもしれない。
もう少し掘り下げないといけないみたいなので、
ここで、いったん、保留とする。


ここで、足枷となってしまうのが、
『邪馬台国』の存在である。
どこに存在していたのかで論争されているのは、
周知の事実である。

考えられるのは、

 『倭』=『邪馬台』

ではないかという事だ。

 『倭』=『ヤマト』ではないと言ってなかった?

と、思われるかもしれないが、
これは、中国側から見ての話となる。

漢字を当てる時、

 ① 意味で当てる。
 ② 音のみで当てる。

の、二通りがある。

文字がなかった古代日本語の『ヤマト』を、中国で表記する際、

 ① 『ヤマト』⇒ 意味で当てる。⇒ 『倭 (中国より南東の地域)』
 ② 『ヤマト』⇒ 音のみで当てる。⇒ 『邪馬台』

と、したのだと思う。
つまり、『倭』『ヤマト』『邪馬台』を分けて考える必要はなく、
当時の中国から見た場合、
 『倭』=『ヤマト』=『邪馬台』
なのだと思うのだ。
さらに、

 ①『クニ』⇒ 意味で当てる。⇒『国』

となり、『クニ』=『ヤマト』ではないのだから、
本来は、融合してはいけないのに、
融合されてしまったのが『邪馬台国』なのだろう。


前述のとおり、『邪馬台国』が存在した地域については、
いろいろな説がある。
『ヤマト』という地名が、日本各地に残されている事も、
その理由の一つとなっている。

たまには、他人様のご意見を肯定してみようと思う。
皆々様が、全員、正しい事を言っているとすると、
『邪馬台国 (ヤマト)』は、
奈良県にも、九州北部にも、九州南部にも、
大阪・兵庫あたりにもあったという事になる。
ただし、『ヤマト』にあやかって
名づけられたと思われる地名は除く。
特に『大和 (やまと)』はその傾向が強いと思われる。
現代日本ですら、
人名やペットの名で使われる事がある。


さて、『クニ』も『ヤマト』も、いずれも固有語である。
どちらも、地域を表す言葉のようだが、
その違いは何だろうか?


古代日本において、
『クニ』が『クニ』を攻める理由のひとつに、
『徴税』するためというのがある。
素直に言う事を聞いて『納税』するのなら、
『クニ』はそのまま残された事だろう。
むやみに収入源を潰してしまう訳にはいかない。
しかし、反発した『クニ』もあったと思われる。
そういう『クニ』が現れるたび、争いとなり、
いずれかの『クニ』が滅ぼされたのだろう。

『徴税』するには、『徴税行政』が必要となる。
ひいては、『行政区分 (行政区画)』が必要という事になる。
『行政区分』とは、
国家が円滑な国家機能を執行するために、
領土を細分化した区画のこと。
この考察の前半部には、
 『市区町村』『都道府県』『八地方区分』
という言葉が出てきた。
これらが、領土を細分化した区画となる。

 『国家が』って書いてあるけど、
 『日本』ができるまで、
 日本列島に『国家』がなかったって言ってなかった?

と、思われるかもしれない。
世界的には、国家が行う事である。
しかし、日本には、例外が存在している。
日本の歴史において、
天皇・貴族を中心とした『朝廷』とは別に、
将軍・武士を中心とした『幕府』があったのだ。
天皇は、時代により権力の差があれども、
日本の皇 (王) である。
それを無視して、徴税するシステムがあったという事になる。
『大宝律令』以前なら、なおさらありえる話である。


ここで、『魏志倭人伝』について触れてみる。
『魏志倭人伝』によると、
『邪馬台国 (ヤマト)』は、30余りの『クニ』を束ねて、
連合国家 (連合政権) のようなものを
作っていたというような話がある。
この考察では、ヤマトの候補地として4つ挙げたが、
4つのヤマトが、それぞれ、30余りの『クニ』を束ねると、
120以上の『クニ』があった事になるが、
大阪府・兵庫県あたりのヤマトは、それ程話題にならない事を考慮すると、
他の『ヤマト』に比べて、小規模な『ヤマト』だった可能性がある。
すると、全部で100余りの『クニ』となり、計算が合う。
つまり、『ヤマト』は、『クニ』より上位の『行政区分』となる。

行政区分の昔と今に、『魏志倭人伝』の表記を加えた表を作成してみた。
『ヤマト』の名前の由来についての考察。_a0238252_10394047.png
完全一致の対応表を作るのは無理だが、参考にしてもらいたい。

『ヤマト』は、『都道府県』に相当するとあるが、
実際には100以上の『クニ』のうちの4つであり、
県庁所在地のような役割だったと思われる。
そのため、『魏志倭人伝』では、
『邪馬台国』という言葉が出てくるのだろう。


そして、『ヤマト』の名前の由来についてだが、
中国人が当てた『倭』と、
後世に作られた『大和』を除外して、
地名として残された『ヤマト』の文字を見ると、
 『山○』
となっている。
日本では古代より、『山』は信仰の対象となっているし、
特に否定材料はないのだが、
『山○』の『○』には、何が入るのだろうか?

一覧表の『ヤマト』と『邪馬台 (やまと)』の間を見て欲しい。
そこには『都道府県』とある。
また、『ヤマト』の下の欄には、『 (四道) 』とある。
当時、『四道』がどのように発音されていたのかが不明なので、
『 (四道) 』としてある。

『都道府県』と『 (四道) 』に共通する文字は、『道』である。

そして、韓国での『道』の読み方は、

 『道』=『도 (ト)』

となる。


『ヤマト』とは『山道』を由来とする
『行政区分』の1つだったのだと思う。

by zouchan-land | 2024-03-19 16:20 | 韓国語 (日本古代史など)。 | Comments(0)
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