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琴棋書画。


琴棋書画。 文人の楽しみ。 教養や風雅を身につけた文化人の風流な遊び。 また、そのたしなみ。 琴を弾き、碁を打ち、書を書き、絵を描くこと。
by zouchan-land
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『卑弥呼』『壱与』の名前の由来についての考察 ~ 第二幕。

 【 問題 】

母には二度逢ひたれでも父には一度も逢はず。
(母には2度逢ったけど、父には1度も逢わなかった。
これ、な~んだ? 的な意味。)

上の問題は、以前の考察に出てきた問題だ。
室町時代の『なぞなぞ』である。

昔の日本では『はひふへほ』は
『ぱぴぷぺぽ』に近い音だった。
たとえば『日本』を『にほん』とも、
『にっぽん』とも読むのは、その名残りだ。
『1本』『2本』『3本』も、
昔は『いっぽん (いちぽん)』『にぽん』『さんぽん』
というように発音されていたと思われる。
これらを踏まえてなぞなぞを考えると、
答えは『唇』になる。
母 (ぱぱ) は、上唇と下唇が2度出逢うが、
父 (ちち) では出逢わないのだ。

つまり、『卑弥呼 (ひみこ)』は、
『ぴみこ』に近い発音だったという事になる。
そのため、『魏志倭人伝』に『卑弥呼』の名前が載った時、
『ひ』としか発音しない漢字ではなく、
『ぴ』と発音される事もある『卑』が
採用されたのだと推測できる。


『は行』の成り立ちが遅かった国は、日本だけだろうか?

朝鮮半島でハングルの前身が生まれたのは、
1443年の事である。
その当時は、『諺文 (언문 / オンムン)』 と呼ばれた。
日本人が『諺文』という言葉を見ると、
『諺 (ことわざ)?』と思うかもしれないが、
『諺文』の意味は、『話しことばの文字』となる。

そして、1446年、
『訓民正音 (훈민정음 / フンミンジョンウム)』として、
正式に公布された。
実は、この時点では、
 『は行 / ㅎ (히읗 / ヒウッ) 』
が、含まれていなかった。

『ㅎ (히읗 / ヒウッ) 』が生まれたのは、
1751年となる。

『ハングル (한글)』という呼称になったのは、
ごくごく最近の話なのだが、
 『한 (ハン)』=『偉大な』
 『글 (グル)』=『文字』
となる。

『ハングル』の『ハン』は、
モンゴル帝国 (元) の
 『ハン (ハーン)』=『首長 (=偉大な人物)』
と、同じルーツを持つ言葉なのかもしれない。


次は、『卑弥呼』の後継者である『壱与 (いよ)』の話。

アジア圏の、年齢の決め方として、
 『満年齢』と『数え年』
がある。

2023年6月28日、
韓国では『満年齢統一法』という法律が施行されたが、
中国では、今なお『数え年』が使われている。

『壱与』が『卑弥呼』の跡を継いだのは、
『13歳』の時である。
昔の日本では『数え年』が使われていたが、
この『13歳』という年齢は、
『満年齢』に変換された年齢かもしれない。

すると、どういう事が起こり得るだろうか?

『13歳の女の子』が、
『卑弥呼』の跡を継いだという情報を、
中国に持ち帰った人がいた。
当時の日本では『数え年』が使われていたのだから、
当時の『壱与』の年齢は
『数え年』の『14歳』という事になる。
その情報が『魏志倭人伝』の執筆者に伝わるまでに、

  『14歳の女の子』
 ⇒『14歳』
 ⇒『14』
 ⇒『いよ』

となってしまい、
『いよ』という人物が、
『卑弥呼』の跡を継いだという話になり、
『魏志倭人伝』の執筆時、漢字表記に変換されて、

 『壱与が、卑弥呼の跡を継いだ。』

との記載に、なってしまったのかもしれない。


【『卑弥呼』『壱与』の名前の由来についての考察 ~ 終幕。】に、続く。




by zouchan-land | 2024-03-10 23:11 | 韓国語 (日本古代史など)。 | Comments(0)
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