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琴棋書画。


琴棋書画。 文人の楽しみ。 教養や風雅を身につけた文化人の風流な遊び。 また、そのたしなみ。 琴を弾き、碁を打ち、書を書き、絵を描くこと。
by zouchan-land
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とある考察の最終問題 ≪question≫ ~【 最上級編 】~ 出題編。

 【 これまでのあらすじ 】

神社での参拝作法として、
『二礼二拍手一礼』がある。

また、『二礼四拍手一礼』を、
参拝作法とするところがある。

 『宇佐神宮 (豊国)』
 『出雲大社 (出雲国)』
 『弥彦神社 (高志国 (越国))』

である。


『魏志倭人伝』によると、

 『倭人 (和人)』は、
 敬う人を見ると、搏手 (拍手) をする。

との記述がある。
つまり、古代日本人が『拍手』をする対象は、
『神』ではなく、『人』だったという事になる。


『古代日本』における、
『倭国 (和国)』という『連合国家』は、

 『東』=『木』=『青』=『木国』
 『南』=『火』=『赤』=『火国 (肥国)』
 『中』=『土』=『黄』=『邪馬台国 (宇佐)』
 『西』=『金』=『白』=『金官伽耶』
 『北』=『水』=『黒』=『出雲国』

となる。


『古代日本』における、
『四天王』は、

 【 東 】座頭天王 (佐氏)
 刺国 (佐治国)、のちの、武蔵国。

 【 南 】馬頭天王 (馬氏)
 伊勢国。

 【 中 】推古天皇
 大和国。

 【 西 】牛頭天王 (宇氏)
 伯耆国 (根之堅洲国)。

 【 北 】九頭天王 (久氏)
 高志国 (越国)。

 ⇒ 【 北 】須頭天王 (須氏)
   高志国 (越国) 能登半島。

となる。


  『陰陽五行説』の『最高位』
 =『中 (土)』

  『古代日本』における、
  『四天王』の『最高位』
 =『北』



 【 問題 】

 『二礼二拍手一礼』
 『二礼四拍手一礼』

の、『対象』は?

# by zouchan-land | 2025-11-11 15:41 | 韓国語 (日本古代史など)。 | Comments(0)

とある考察の最終問題 ≪question≫ ~【 上級編 】~ 謎解き編 ~ 終幕。

 【 これまでのあらすじ ~ その1 】

 【 東 】座頭天王 (佐氏)
 刺国 (佐治国)、のちの、武蔵国。

 【 南 】馬頭天王 (馬氏)
 伊勢国。

 【 中 】推古天皇
 大和国。

 【 西 】牛頭天王 (宇氏)
 伯耆国 (根之堅洲国)。

 【 北 】九頭天王 (久氏)
 高志国 (越国)。

 ⇒ 【 北 】須頭天王 (須氏)
   高志国 (越国) 能登半島。


  『須家 (すが)』
 ⇒『須賀 (すが)』
 ⇒『清 (すが)』
 ⇒『蘇我 (そが)』


  『四神』の『最高位』
 =『北』の『玄武』

  『仏教』における、
  『四天王』の『最高位』
 =『北』の『多聞天 (毘沙門天)』


すると、『日本列島』における、
『四天王』の『北』が、
『最高位』という事になる。

詳細は、割愛するが、
『蘇我氏』と言えば、

 『仏教』
 『渡来人』
 『推古天皇』

となる。
『日本古代史シリーズ』における、

 『須佐之男』

に、通ずるところがある。
また、『蘇我氏』は、

 『日本古代史』における、
 『最大』の『豪族』

と、称される事もある。


ならば、『九頭天王』は、
どうだろうか?

実質的に、

 『九頭天王 (九頭竜)』=『八俣遠呂智』

と、考えられる。
そして、

  『八俣遠呂智 (やまたのおろち)』
 ⇒『山田 (やまた)』

とすると、答えが、見えてくる。


『日本古代史シリーズ』では、
『神武東征』以前、
『和国 (倭国)』の中心には、

 『大山津見 (大山)』
 『綿津見 (和田)』

がいたと、している。
そして、詳細は不明だが、
『八俣遠呂智』は、

 『大山津見 (大山)』
 『綿津見 (和田)』

に、近い存在だったと、
考えられる。


図示すると、
以下のようになる。


 大山 → ①
 和田 → ②
 ↓↓
 ③④


  ①『大山津見 (大山)』
   ②『綿津見 (和田)』
    ③『国号 (大和)』
 ④『八俣遠呂智 (山田)』


 【 これまでのあらすじ ~ その2 】

 『天』=『천 (チョン)』
 『布』=『천 (チョン)』

 『天氏』⇒『布氏』
     ⇒『藤』


そして、『現代日本』。

  『座頭天王 (佐氏)』
 ⇒『佐藤』

  『馬頭天王 (馬氏)』
 ⇒『馬藤』

  『牛頭天王 (宇氏)』
 ⇒『宇藤』

  『九頭天王 (久氏)』
 ⇒『久藤』
 ⇒『工藤』など

  『須頭天王 (須氏)』
 ⇒『須藤』

などのように、派生していったと、
考えられる。


 【 まとめ 】

 【 これまでのあらすじ 】

  『牛頭 (ごず)』+『須頭 (すず)』
 ⇒『五十 (ごじゅう)』+『鈴 (すず)』
 ⇒『五十鈴 (いすず)』 


  『建御雷』
 =『田家』+『御』+『雷』

  『建御名方』
 =『田家』+『御』+『中田』

 『御』=『天王』


  『中国 (なかつくに)』
 =『那賀』の『クニ』


そして、

 『雨 (あめ)』=『天 (あめ)』

で、あるならば、どうなるだろうか?


 『雷』=『雨』+『田』
    =『天』+『田』

となる。
すると、

  『建御雷』=『天津神』の『田家』
 『建御名方』=『国津神』の『田家』

という図式が、見えてくる。


さらに、

 『雷神』=『建御雷』
 『風神』=『建御名方』

と、すると、
『建御名方』は、

 『八俣遠呂智』
 『牛頭天王』

と、関係が深かった可能性が、
出てくる。

図示すると、
以下のようになる。


  『牛頭天王』+『八俣遠呂智』
 ⇒『五十』+『山田』
 ⇒『五十』+『山』+『田』
 ⇒『五十』+『山』+『風』
 ⇒『五十』+『嵐』
 ⇒『五十嵐 (いがらし)』


『日本古代史シリーズ』では、

 『牛頭天王』=『須佐之男』
       =『荒神』
       =『阿羅』の『神』
       ⇒『阿羅氏』

と、している。
そして、おそらく、

 『阿羅氏』⇒『嵐』

だろう。
本来、

 『須佐之男』
 『八俣遠呂智』

は、いずれも、

 『阿羅氏』と、
 縁ある『一族』であった。

と、いう事になる。

また、ここでいう『阿羅』は、

 『阿羅』=『阿羅伽耶』

となる。


そして、『現代日本』。
『島根県出雲市』には、

 『荒茅町』

が、現存している。

 『阿羅伽耶 (あらかや)』
 『荒茅 (あらかや)』

は、密接な関係があったと、
考えられる。

# by zouchan-land | 2025-10-31 11:56 | 韓国語 (日本古代史など)。 | Comments(0)

過去絵~その172。

過去絵~その172。_a0238252_18401994.png
『猪熊 柔 (YAWARA!)』

# by zouchan-land | 2025-10-28 19:00 | 絵画 (お絵描きなど)。 | Comments(0)

とある考察の最終問題 ≪question≫ ~【 上級編 】~ 謎解き編 ~ 第四幕。

 【 問題 】

『古代日本』における、
『四天王』のうち『3人』が、

 『牛頭天王』
 『馬頭天王』
 『座頭天王』

と、すると、残る『1人』は?



 【 これまでのあらすじ 】

 【 東 】座頭天王 (佐氏)
 刺国 (佐治国)、のちの、武蔵国。

 【 南 】馬頭天王 (馬氏)
 伊勢国。

 【 中 】推古天皇
 大和国。

 【 西 】牛頭天王 (宇氏)
 伯耆国 (根之堅洲国)。

 【 北 】九頭天王 (久氏)
 高志国 (越国)。


 『天』=『천 (チョン)』
 『布』=『천 (チョン)』

 『天氏』=『布氏』


  『玖』
 =『九頭竜 (九頭龍)』
 =『櫛名田比売 (久氏)』


  『久』
 =『8人』の『頭』
 =『八俣遠呂智』


 切散其蛇者

『九頭天王』の替わりは?



『須佐之男』は、
『八俣遠呂智』を、
『切散』した事により、
『櫛名田比売 (久氏)』と、
結びつきが強くなったのだろう。

そして、『九頭天王』の替わりには、
『須佐之男』が、
関与していると考える方が、自然だろう。


さて、『日本古代史シリーズ』によると、
『須佐之男』の『系譜』は、
大きく、2~3つに分けられる。

  『須佐之男』
 ⇒『宇迦之御魂 (宇家)』


  『須佐之男 (牛頭天王)』
 ⇒『大年』
 ⇒『韓神 (感神)』
 =『天之日矛』
 =『牛頭天王 (宇氏)』


  『須佐之男』
 ⇒『須賀 (須家)』
 ⇒『蘇我 (蘇我氏)』


『宇家』と『宇氏』の関係について、
気になるところだが、
資料が少ないところでもある。


そして、
『九頭天王』の替わりに、
繋がる『系譜』は、

  『須佐之男』
 ⇒『須賀 (須家)』
 ⇒『蘇我 (蘇我氏)』

の可能性が、大きい。
このあたりを、もう少し、
掘り下げてみよう。

この『系譜』は、おそらく、

 『十七世神 (とおまりななよのかみ)』

だろう。
『古事記』における、
『十七世神』の記述によると、
『須佐之男』の数代後に、
『大国主』の名が挙がっているので、

 『十七世神』=『血脈』

とは、なりえない。


以前の考察で、

 『古事記』における『子』は、

  『皇太子』の『子』
  『王世子』の『子』

 の意味であり、

  『実子』

 を、意味するとは、
 限らないと思われる。

と、述べている。
そこまで規模が大きくない場合、

 『弟子』の『子』

だろう。
また、『日本古代史シリーズ』では、
『古事記』における、

  『A』『生子』『B』

 は、

  『A』=『先
  『B』=『徒』、『弟

と、している。


・・・話を、戻そう。
『古事記』における、
『十七世神』の記述によると、

 『須佐之男 (須家)』
 『櫛名田比売 (久氏)』

の、次代は、

 『八島士奴美 (やしまじぬみ)』

となる。

 『八島士』=『八嶋氏』
      ⇒『矢島氏など』

だろう。
そして、注目するのは、
『日本書記』における記述となる。
『日本書記』では、

  『八島士奴美』
 =『清之湯山主三名漏彦八嶋篠
 =『清之湯山主三名漏彦八嶋野
 =『清之繁名軽彦八嶋手命』

となる。

 『八嶋篠』=『八嶋氏の』
 『八嶋野』=『八嶋の』

だろう。
この『の』は、

 『氏に付ける "の"』

と、思われるが、割愛。
そして、

 『八嶋』の『八』

と、

  『狭 (佐)』
 =『坂 (佐家)』

が、合わさると、
どうなるだろうか・・・?

『八島士奴美』は、
『八坂神社』の『祭神』となる。


・・・話を、戻そう。

 『清之~』=『すがの』

となる。

  『清 (すが)』
 =『須家 (すが)』
 ⇒『須賀 (すが)』

だろう。


また、『粟鹿神社』には、
『粟鹿大明神元記』が、伝わっている。

  『粟鹿 (あわが)』
 =『阿波家』

か、どうかは、不明である。
そして、『八島士奴美』は、
『粟鹿大明神元記』において、

 『蘇我能由夜麻奴斯弥那佐牟留比古夜斯麻斯奴』

と、記されている。
『八島士奴美』は、
『蘇我氏』の『祖』であり、
『八島士奴美』の時代、

  『須家 (すが)』
 ⇒『清 (すが)』
 ⇒『蘇我 (そが)』

と、なったのかもしれない。


・・・もう少し、考えてみよう。
『八島士奴美』の、次代は、

 『布波能母遅久奴須奴』

となる。

 『布』=『天』

と、すると、
『四天王』の資格は、
充分にありそうである。

また、『布波能母遅久奴須奴』は、
『粟鹿大明神元記』において、

 『布波能母知汙那須奴』

と、記されている。
『布波能母遅久奴須奴』は、
『那須氏』の『祖』であり、
『布波能母遅久奴須奴』の時代、

  『那家』+『須家』
 ⇒『那賀』+『須賀』
 ⇒『那須』

と、なったのかもしれない。


・・・話を、冒頭に戻そう。
以上の事から、考えられるのは、

  『九頭天王』の替わり
 =『須頭天皇』

となる。


そして、『現代日本』。
『能登半島 (石川県)』の先端には、

 『珠洲市』

が、現存している。

 『珠洲 (すず)』=『須頭 (すず)』

だろう。


また、『能登半島』の中央部には、

 『七尾市』

が、現存している。
『八尾』であった、
『八俣遠呂智』の『尾』のうち、
『草薙剣 (草那芸之大刀)』が、

  『草薙剣 (国津神?)』
 ⇒『天叢雲 (天津神?)』

と、なったため、

 『八尾』⇒『七尾』

と、なったのかもしれない。


まとめてみると・・・?


 【 まとめ 】

 【 東 】座頭天王 (佐氏)
 刺国 (佐治国)、のちの、武蔵国。

 【 南 】馬頭天王 (馬氏)
 伊勢国。

 【 中 】推古天皇
 大和国。

 【 西 】牛頭天王 (宇氏)
 伯耆国 (根之堅洲国)。

 【 北 】須頭天王 (須氏)
 高志国 (越国) 能登半島。


そして、のちの世、
『須佐之男』に連なる、
2つの『系譜』、

 『牛頭天王』
 『須頭天王』

は、

 『馬頭天王』

の『伊勢国』において、
再び、『ひとつ』になったと、
思われる。

つまり、

  『牛頭 (ごず)』+『須頭 (すず)』
 ⇒『五十 (ごじゅう)』+『鈴 (すず)』
 ⇒『五十鈴 (いすず)』 

となる。

『日本古代史シリーズ』において、
『牛頭天王』は、

 『日本列島』と『朝鮮半島』

を、行き来していたとしている。
『韓国語 (漢数詞)』の、

 『五十』=『오십 (オシプ)』

に、近い発音が、
使われていたのだろう。


また、『日本列島』における、
『四天王』は、

 『寺』に縁ある、
 『4名』の『天王』

と、している。


しかし、『現代日本』において、
『四天王』が祀られているのは、

 『神社』

となる。


そして、

 『神社』と『寺』

に、今なお、共通するのは、

 『朱印』、あるいは、『御朱印』

となる。


さて、『韓国語 (固有数詞)』の、
『五十』は、

 『五十』=『쉰 (シュイン)』

となる。


はたして、これは、

 偶然なのだろうか?
 必然なのだろうか?



・・・そして、次回。
【 上級編 】~『終幕』。

# by zouchan-land | 2025-10-24 12:59 | 韓国語 (日本古代史など)。 | Comments(0)

とある考察の最終問題 ≪question≫ ~【 上級編 】~ 謎解き編 ~ 第三幕。

 【 問題 】

『古代日本』における、
『四天王』のうち『3人』が、

 『牛頭天王』
 『馬頭天王』
 『座頭天王』

と、すると、残る『1人』は?



 【 これまでのあらすじ 】

 【 東 】座頭天王 (佐氏)
 刺国 (佐治国)、のちの、武蔵国。

 【 南 】馬頭天王 (馬氏)
 伊勢国。

 【 中 】推古天皇
 大和国。

 【 西 】牛頭天王 (宇氏)
 伯耆国 (根之堅洲国)。

 【 北 】○頭天王 (○氏)
 高志国 (越国)。
 現在の、福井県あたり (?)。


『古事記』によると、
『高志之八俣遠呂智』は、

 身一有八頭八尾

となる。



『須佐之男』は、
『八俣遠呂智』の『尾』から、

 『草薙剣 (草那芸之大刀)』

を、『取』った。
さらに、

 『頭の数』=『尾の数』

である事を、考慮すると、
『尾』は、

 『頭』の側近
 『頭』の護衛

などが、考えられる。

『草薙』の中には、
『雉』が、含まれているので、

 『頭』の仲介者
 『頭』の通訳者

なども考えられるが、割愛。

そして、『須佐之男』と、
敵対していた『草薙氏』が、
『高天原』の『天照』の元に行き、

 『天叢雲 (天氏)』

と、成ったのかもしれない。


『日本古代史シリーズ』では、

 『身』=『御』=『王』

と、している。
そして、『8人』の『頭』の、
さらに上に君臨していたのが、

 『身一有』=『1人』の『王』

だろう。


・・・本当に、そうなのだろうか?

たとえば・・・?


 2本足の股の数 = 1
 5本指の股の数 = 4

であり、

  『八俣遠呂智』
 =『8つ』の『股』

と、すると・・・?


『古事記』には、

 『八俣遠呂智』=『八頭』

と、記載されているので、

 『環状』に『首』が、
 生えていた。

という、有名な説がある。


もしも、

 9本首の股の数 = 8

だとしたら、どうなるだろうか?
・・・1本 (1人)、足りないのである。


さて、『9』とは、
何だろうか?

『9』を、
ひと言で表すとすると、

 『9』=『玖』

となる。


すると、

 『久』=『8人』の『頭』

 『玖』=『1人』の『王』
    =『久』たちの『王』

という図式が、見えてくる。
そして、おそらく、
『須佐之男』の時代、

 『玖』=『櫛名田比売 (久氏)』

だろう。


しかし、『王』も、また、

 『王』=『頭 (かしら)』

である。


『高志之八俣遠呂智』は、
『個人』で、あるとともに、
ある種の『組織』でもあり、
本来は、

 『九つ』の『頭』

が、存在していたと、考えられる。


『高志国 (越国)』は、
時代とともに、

 『拡大』『縮小』

が、あったと思われるが、
おおよその『位置』としては、

 『福井県敦賀市』から、
 『山形県庄内地方の一部』まで。

となる。


『須佐之男』が、
『高志国 (越国)』の、
『八俣遠呂智』と、
争っていたとするならば、

 『国境付近』=『敦賀市付近』

だろう。


そして、『須佐之男』が、
『出雲方面』から、
『高志国 (越国)』に、
向ったとする。

さらに、『国境』を、
超えた先にあるのは、

 『九頭竜川』

となる。


 『高志』=『高氏』
 『高志』=『許氏』

いずれにせよ、本来は、
『朝鮮半島』と関係が深い、
『クニ』であったと、
考えられる。


そして、『朝鮮王朝』において、

 『龍 (竜)』=『王の象徴』

であった。


まとめてみると・・・?


 【 まとめ 】

 【 東 】座頭天王 (佐氏)
 刺国 (佐治国)、のちの、武蔵国。

 【 南 】馬頭天王 (馬氏)
 伊勢国。

 【 中 】推古天皇
 大和国。

 【 西 】牛頭天王 (宇氏)
 伯耆国 (根之堅洲国)。

 【 北 】九頭天王 (久氏)
 高志国 (越国)。


  『玖』
 =『九頭竜 (九頭龍)』
 =『櫛名田比売 (久氏)』


  『久』
 =『8人』の『頭』
 =『八俣遠呂智』



さて、ここで、
疑問が生じる。

『古事記』には、

 切散其蛇者

と、記されている。
おそらく、これは、

 『八俣遠呂智』を中心とし、

  『須佐之男』
  『櫛名田比売』

 と、敵対した『組織』の『解体』。

だろう。


すると、『推古天皇』の時代、
『九頭天王』は、
存在していなかったという事になる。

あるいは、存続していたとしても、
『四天王』に、含まれたとは、
考えにくい。


『四天王』は、
『4人』いるからこそ、
『四天王』である。

ならば、『九頭天王』の替わりは?

# by zouchan-land | 2025-10-17 11:37 | 韓国語 (日本古代史など)。 | Comments(0)


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